元々彼女は音楽業界からのデビューではなく、家族の生活を支えるために歌が巧かったことを期に父がマネージャーとなり家族で彼女を後押ししながらもマメ歌手としてスタートしていったのが芸能活動の始まりでした。
当初は進駐軍のキャンプまわりをする仕事続けていたことで進駐軍のアイドルとなっていき、愛称を「エリー」と名付けられていました。その名前を取って江利チエミという芸名が出来上がったと言われています。
その後、進駐軍兵士から彼女に「テネシー・ワルツ」の楽曲をプレゼントされ、その楽曲を持って音楽業界に売り込む活動を行っています。「テネシー・ワルツ」が大ヒットを遂げ、日本における「カバー歌手」の代名詞となっていきました。そして、俳優 高倉健の元妻でもありました。
作詞 山上路夫
作曲 鈴木邦彦
昭和49年に発表されたこの曲は、女性が一人、酒場で物悲しくお酒を飲んでいる様子が切々と歌われています。当時聴いた時よりも、今聴いた方が今は亡き江利チエミ自身とどうしても重なってしまう印象を拭うことができないのは私だけでしょうか・・。
昭和27年、弱冠14歳で「テネシーワルツ」を発表してから、昭和57年不慮の事故で突然亡くなるまで、戦後最も栄光のある芸能人の一人でした。ですが華々しい芸能生活を送る一方、プライベートでは波乱万丈の人生でした。
高倉健と夫婦だったことは有名ですが、子供の妊娠高血圧症候群による中絶、結局身内の金銭がらみのトラブルから愛し合いながらも離婚をしてしまいます。一人になって、彼女にとって癒しの場所はどこだったのでしょう。芸能人として忙しくなればなるほど、もしかして一人でお酒を飲む機会も多かったのではないでしょうか・・。死因というのもウイスキーの牛乳割りが、関係していたのではと言われていますし、何か因縁めいたものを感じさせます。
また、デビュー直前の母の死、自宅の火災、ハイジャック事件に巻き込まれたりと常に不幸に付きまとわれてるかのような「江利チエミ」という人の人生でした。ですが、「テネシーワルツ」を始めとする数々の洋楽=ジャズを日本で広め、アメリカ、ハワイと日本人で初めてステージを成功させ、数々の書ききれないほどの賞を獲得しました。明るく一本木な性格で精力的な芸能活動をし、人々に元気と希望を与えた功績は計り知れないものがあります。
「江利チエミ」という歌手は、そういう意味でも「明」と「暗」両極端持ち合わせていたのでしょう。「酒場にて」は正に「暗」を歌い上げた曲なのではないかとどうしても思ってしまいます。それだけ心に染み渡る名曲です。
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