昭和40年代後半(45~49年) 懐メロ歌謡曲ランキング

■ 世界に認められた日本の経済力と平和への意思
  昭和歌謡界【黄金時代の幕開け】

40年代(45年~49年) 昭和史【豆知識】




戦後の復興期もようやく安定期に入りつつある時代で、様々な思想が入り乱れる中、昭和45年には「日本万国博覧会」=万博が開催され、39年の「東京オリンピック」に続く大成功で、日本は世界に認められる「経済成長」と「平和」という2つの大きな柱を持つ国として新たなスタートを切っていました。

昭和歌謡界においては、レコード生産量は1億2千万枚を超え、世界第2位にまで成長を遂げました。まさに黄金時代の幕開けです。この時代から、「芸能プロダクション」という新たな新勢力が出現し、それまで歌手、作詞作曲家全てレコード会社が独占していましたが、この時代からこの芸能プロが歌手、作家のみならず、レコードの元であるマスターテープの制作、出版権まで一手に引き受けるようになったのです。

その頂点に君臨するのが、いわゆる「ナベプロ」=渡辺プロダクションの存在です。ナベプロは、昭和歌謡界になくてはならない程の力を持ち、テレビの音楽番組などでこのナベプロの協力がないと番組が成り立たないと言われる程の力を持つようになりました。


この時代は、王道の演歌歌手としては森進一、五木ひろし、藤圭子、ブルースの新星・青江三奈、また後のアイドル歌手へと継承されるであろうナベプロの秘蔵っ子・小柳ルミ子、天地真理、アグネス・チャンの活躍が目覚しく個性豊かな面々がそれぞれに光り輝くオーラを放ちます。中でも同時期にデビューした小柳ルミ子と天地真理、そして南沙織は“新三人娘”と呼ばれるほどのアイドルとして活躍しました。

また作詞家では、阿久悠、なかにし礼、安井かずみ、千家和也、作曲歌では、浜口庫之助、平尾昌晃、筒美京平、浜圭介らの新たな大作家達が、こぞって名曲を発表し、大ヒットを連発させ続けました。

またこの時代の歌謡界最高の権威である日本レコード大賞受賞に対しての賞盗り合戦が華々しく繰り広げられ、ますます昭和歌謡界から目が離せなくなります。

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―昭和40年代(45~49年)  懐メロ歌謡曲ランキング ベスト10―

1位
瀬戸の花嫁 小柳ルミ子
 
 
「瀬戸の花嫁」
 小柳ルミ子

 作詞/安井かずみ  作曲/平尾昌晃

昭和47年、デビュー曲「わたしの城下町」以来、2度目の大ヒットとなる曲である。小柳ルミ子の艶のある美声が段々畑や綺麗な夕焼けが沈む瀬戸内海を、花嫁が小舟に揺られお嫁入りする姿を表現し、その年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。この曲ができたエピソードに、「歌手になる為に上京したのだから私は一生お嫁に行かない」言っていた彼女を、「だったら歌の中でお嫁に行かせよう」という事になったという話がある。

2位
知床旅情 加藤登紀子
 
 
「知床旅情」
 加藤登紀子

 作詞/作曲 森繁久彌

昭和35年、森繁久彌が作詞作曲、自らも歌ったこの曲を、加藤登紀子が昭和45年に発表したアルバム「日本哀歌集」で取り上げ、同年にシングルカットした。翌年徐々にヒットし始め、7週連続のオリコン1位を獲得する。世界遺産にまでなった北海道知床半島の叙情ある風景を加藤登紀子が何とも味のあるヴィブラートの効いた声で歌い上げる。長年にわたって愛され続けている名曲だ。

3位
襟裳岬 森進一
 
 
「襟裳岬」
 森進一

 作詞/岡本おさみ  作曲/吉田拓郎

日本ビクターの創立五十周年、ビクター音楽産業株式会社になった一周年記念としてビクターが特別企画として制作された曲で、作詞は岡本おさみ、作曲はフォークの大御所吉田拓郎という黄金コンビで制作された。最初はB面扱いで、また「フォークは森には合わない」と渡辺プロの方が反対していたが森進一の強い希望によりA面発売に至った。結果、通算売上100万枚、また日本レコード大賞、日本歌謡大賞とダブル受賞という快挙を成し遂げた。

4位
神田川 南こうせつとかぐや姫
 
 
「神田川」
 南こうせつとかぐや姫

 作詞/喜多条忠  作曲/南こうせつ

かぐや姫の「神田川」はその後の大衆文化を大きく変えていくきっかけにもなろう楽曲だったのかもしれません。と言うのも今までは社会的なフォークソングから個人的な何気ない生活感を歌にした「同棲」をテーマにした歌詞が受け入れられたからです。この曲から若者文化が価値観が変化していったのでしょう。

5位
くちなしの花 渡哲也
 
 
「くちなしの花」
 渡哲也

作詞/水木かおる  作曲/遠藤実

初盤はたったの3000枚だったこの曲は緩やかながらも頭角を現していきます。元々渡哲也のファンは男っぽいイメージが強く、トラック運転手や労働者などのファンが多かったため、歌手としては伸び悩んでいたところ、路線を変えて、この「くちなしの花」で女性ファン獲得に乗り出した。渋い男のやさしい歌声が徐々に魅力となり140万枚ものセールスとなった。

6位
せんせい 森昌子
 
 
「せんせい」
 森昌子

 作詞/阿久悠  作曲/遠藤実

「スター誕生」という司会・萩本欽一が務める公開スカウト番組がこの時期から行われ、初代グランドチャンピオンとなった当時12歳だった森昌子はそこでスカウトされて歌手デビューを果たします。そのデビュー曲がこの「せんせい」でした。天才的な歌のセンスに当時の揺れる女学生の女心を上手く掴んだ表現力がマッチして、彼女自身最大のヒット作となりました。

7位
喝采 ちあきなおみ
 
 
「喝采(かっさい)」
 ちあきなおみ

 作詞/吉田旺  作曲/中村泰士

昭和47年、レコード発売後3ヶ月でいきなり日本レコード大賞を受賞したこの曲は、その年最もレコード売上のあったレコード大賞最有力候補だった小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を抜いてなぜ受賞できたのか・・・

詳しくは歌謡曲【豆知識】をご覧下さい。

8位
わたしの城下町 小柳ルミ子
 
 
「わたしの城下町」
 小柳ルミ子

 作詞/安井かずみ  作曲/平尾昌晃

小柳ルミ子のデビューシングル曲で国鉄キャンペーンの「ディスカバー・ジャパン」の流行りも相まって、いきなり12週連続1位を叩き出し、ソロ女性歌手としては今尚破られていない記録となっています。この当時は南沙織・天地真理との活躍もあり70年代の「三人娘」と称される人気アイドル歌手でした。この楽曲で日本歌謡大賞の放送音楽新人賞と日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞しています。

9位
また逢う日まで 尾崎紀世彦
 
 
「また逢う日まで」
 尾崎紀世彦

 作詞/阿久悠  作曲/筒美京平

尾崎紀世彦はザ・ワンダースのメンバーでしたが解散後、村上司のプロデュースにより「別れの夜明け」でソロデビューを果たし、2作目の「また逢う日まで」で彼のダイナミックで力強い歌唱力も大きく評価され日本レコード大賞と日本歌謡大賞のW受賞をするほどの大ヒットとなりました。

10位
てんとう虫のサンバ チェリッシュ
 
 
「てんとう虫のサンバ」
 チェリッシュ

 作詞/さいとう大三  作曲/馬飼野俊一

元々は松崎好孝を中心に4人組で活動する中、後から松井悦子が加入し人組となります。昭和46年に全国フォーク音楽祭の大会に出場していたところをスカウトされ、その後、松崎、松井のデュオとなり「てんとう虫のサンバ」がヒットすることとなります。この曲は今も尚、結婚式などで歌われているほど、誰もに知られているチェリッシュの代表作となりました。