昭和27年「赤いランプの終列車」で正式なる歌手デビューとなる。それまでの下積み生活は準専属の歌手として無給での活動だったために苦労のたえない中、作曲家江口夜詩のもと自らの曲を頂くために丁稚奉公をしてようやく頂けたのがこの「赤いランプの終列車」で大ヒットしたことで本格的な歌手活動が出来るようになった。
その後「お富さん」・「別れの一本杉」などのヒットを続け、その当時の流行歌とは質の違う望郷歌謡を築き上げ「演歌」の新境地を作り上げていったのがこの春日八郎である。
そして春日八郎に続くとばかりに村田英雄・三橋美智也・三波春夫。美空ひばりも演歌を歌い出し、その後は北島三郎・都はるみといった歌手たちが演歌を継承していくようになっていった。
作詞 山崎正
作曲 渡久地政信
昭和29年に発売されたこの「お富さん」は、当時としてはミリオンセラーとなる65万枚を売り上げました。また、春日八郎はこの曲の大ヒットによって一躍大御所歌手になりました。この曲はご存知の通り、歌舞伎の「与話情浮名横櫛」(よはなさけうきなのよこぐし)「源氏店(玄冶店)の場」を歌謡曲にしたものです。房州木更津で人のお囲い者のお富と恋に落ち、切り裂かれる程苦しむ与三郎が江戸で再開するという場面です。
歌舞伎といえば格調高いイメージがありますが、この曲は庶民に親しまれやすく、歌舞伎を知らない子供までも口ずさむ気さくさが大いに受けたといいます。この曲を作曲した渡久地政信氏と作詞をした山崎正氏は驚く事に歌舞伎を1回も観た事がなかったそうです。
また渡久地氏は沖縄出身ということもあり、沖縄民謡のリズムカルで手拍子しやすいメロディーを取り入れ、また歌詞の中では「お富さん」と何度も登場させています。
歌舞伎を知らない人が作詞作曲したという事によって堅苦しくありきたりな曲ではなく、こんな楽しく、誰でもが歌える曲が生まれたのでしょう。当時のお父さん達が、毎晩飲み屋でこの「お富さん」を手拍子を交えながら大合唱していた懐かしい風景が目に浮かぶようですね。
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