■ 終戦後の疲れきった人々の心の中に入ってきた
「歌謡曲」というオアシス
20年代(20年~24年) 昭和史【豆知識】
第二次世界大戦敗戦直後、ラジオ放送で「日本に平和が戻り、明るい笑顔と希望に燃えて一歩をようやく踏み出した」というナレーションの後に、並木路子が歌う「リンゴの唄」が流れるという光景は、今でもテレビのドキュメント番組などでよく目にします。しかし、第二次世界大戦終戦直後というのは、実際にはそのようなナレーションからかけ離れた戦後生まれの人達にとっては想像もできない、凄まじいものでした。
廃墟となった東京、飢えた人達、約3万5千人以上いたといわれる浮浪児。戦争で家族も住む家も全て失い、飢えのために、ただ食べ物だけを求めてさまよう少年少女達のことです。終戦直後、視界に入ってくるのは一面焼け野原、飢えと貧しさで生きていく気力も無くなりそうな薄暗いモノクロ世界ばかりの中、耳に入ってくる歌が「赤いリンゴに唇寄せて・・」で始まる透明感のある綺麗な歌声の「リンゴの唄」でした。
この「赤いリンゴ」と「黙って見ている青い空」の、まだカラー放送が観れない時代だからこそ、想像を掻き立て鮮明に引き付ける赤と青の色彩の美しさ、歌の素晴らしさが戦後疲れきった人々の気持ちを捉え、明るい希望をもたらした事はいうまでもないでしょう。
また、戦後といえど、進駐軍がジープであちこちと走り回り、色んな施設がまだ米軍の占領下にあった時代、今まで禁止されていたアメリカン音楽が怒涛のように流れ込んできた時代でもありました。
アメリカンポップス音楽の影響を受けた数々の歌謡曲が発表される中、もともと海外の音楽を日本の歌謡曲に取り入れた先駆者、服部良一氏によって作曲された「東京ブギウギ」はアメリカ音楽と日本歌謡曲を融合させて新しく作られた名曲です。
この曲を歌った笠置シズ子は、正しい姿勢で声を響かせて歌う今までの日本歌手の歌い方ではない、ブギのリズムに合わせて全身で踊りながら歌うという、エネルギーに満ち溢れたパフォーマンスで人々に希望と元気を与えました。
一面焼け野原だった終戦からわずか3年後の昭和23年にこの「東京ブギウギ」が発表され、大ヒットしたというのも驚きですが、昭和史を語る上で、いかに時代と歌謡曲は密接な関係であったかというのは忘れてはならない事だと思います。
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1位 |
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「青い山脈」 藤山一郎 作詞/西条八十 作曲/服部良一 「昭和の歌・心に残る200」においても第1位とを獲得する映画「青い山脈」の主題歌です。東北地方の港町を舞台に、若き男女の交際をめぐる騒動を清楚に描いた原節子主演の青春小説を映画化しました。 |
2位 |
「リンゴの唄」 並木路子 作詞/サトウハチロー 作曲/万城目正 可愛い乙女の願いを赤いリンゴに託して唄う詞は、戦後日本の焼け跡の光景や戦時中のプレッシャーからの解放に向けて、敗戦によって萎縮しきった大衆の心意を癒せれる唱歌と評価されました。 |
3位 |
「湯の町エレジー」 近江俊郎 作詞/野村俊夫 作曲/古賀政男 ギターのアクセントが持ち味となった「古賀メロディー」を代表する唱歌であり、同時に近江俊郎の代表曲となりました。この時代、40万枚という、驚異的なレコード売上枚数を記録し、彼の人気を不動のものにした唱歌ともいえましょう。 |
4位 |
「悲しき口笛」 美空ひばり 作詞/藤浦洸 作曲/万城目正 映画「悲しき口笛」は美空ひばりの古里でもある横浜が舞台になっています。映画の中でこの曲を「シルクハットに燕尾服」で歌っている装いは「天才少女歌手」の代表的なものとして知られています。 詳しくは歌謡曲【豆知識】をご覧下さい。 |
5位 |
「長崎の鐘」 藤山一郎 作詞/サトウハチロー 作曲/古関裕而 サトウハチローの歌詞は戦災を受けた全ての受難者に対する鎮魂曲であり、打ちひしがれた大衆のために再起を願った歌詞である。元々は池真理子が唄うことでレコード会社は考えていたが、その歌詞から感じた池は「この曲は永井隆博士のご心境を歌ったものであるから、男の人が歌うべき。」という想いで、敬意をもって藤山一郎氏にレコーディングを志望したとされる。 |
6位 |
「異国の丘」 竹山逸郎 作詞/増田幸治 作曲/吉田正 昭和18年に軍人として満州にいた吉田正が、兵員の団結心を高めるために作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲である。この曲はシベリアから戻った兵士の中村耕造が「NHKのど自慢」で歌ったことからきっかけとなり有名となりました。 |
7位 |
「東京ブギウギ」 笠置シヅ子 作詞/鈴木勝 作曲/服部良一 笠置本人が公演を行っていた「踊る漫画祭・浦島再び竜宮へ行く」の挿入歌として歌われたことがきっかけとされています。戦後新しい日本を象徴する代表的な名曲で、ブギのリズム感が今、聴いてもとても新鮮に思います。この歌は、美空ひばりを始めや雪村いづみと言った数多くの歌手によってカバーされ続けています。 |
8位 |
「憧れのハワイ航路」 岡晴夫 作詞/石本美由起 作曲/江口夜詩 「リンゴの歌」や「東京ブギウギ」、そして「憧れのハワイ航路」が戦後の大衆を元気つける歌として評されています。戦後の苦しみと飢えの中、ハワイを憧れの対象としたこの楽曲は時代を象徴する戦後第一声の名曲となりました。 |
9位 |
「かえり船」 田端義夫 作詞/清水みのる 作曲/倉若晴生 ギターを水平に持ち演奏する姿が印象的な田端義夫のヒット曲。戦前からの流れを組むマドロス歌謡で人気となり昭和20年代を代表するスターとして岡晴夫、近江俊郎らと共に戦後三羽烏と呼ばれました。 |
10位 |
「啼くな小鳩よ」 岡晴夫 作詞/高橋掬太郎 作曲/飯田三郎 その当時から連載されている「サザエさん」の中でサザエさんが「啼くな小鳩よ」を唄うシーンがあったほど、岡晴夫の人気は絶大なものとなっていました。彼は珍しく紅白歌合戦には出場していなかった理由として、地方巡業を優先していたためだとされています。 |
●ランキングについて
平成元年(1989)にNHKから「昭和の歌・心に残るベスト100」が放送されました。これはNHKの独自調査によるもので、それを元としてヒットランキングを編集しております。