■ 本格的な高度成長期「全国民中流家庭」の幕開け
30年代(30年~34年) 昭和史【豆知識】
戦後10年を経て、日本はいよいよ本格的な高度経済成長に向けて踏み出してゆきます。農地改革や労働改革、華族やお家制度などの封建制度が無くなり、今まで弱者の立場に置かれていた労働者や農民は、一般の大消費者としてのポジションを確保し、急速に日本の市場が飛躍していきます。
昭和33年にはあの東京タワーが竣工し、今では大手自動車メーカーである「トヨタ」が長年王者として君臨することになる「クラウン」を発表。そして各家庭に1台は自動車を所有するという事も珍しくなくなっていきました。「全国民中流家庭」の時代の到来です。
それとともに歌謡界の発展も目覚しいものがあり、終戦後のロカビリーブームに端を発したカヴァー・ポップス、そこから派生した日本のオリジナル曲も数多く発表されました。
「シャボン玉ホリデー」や「ザ・ヒッパレード」などのテレビ番組、また「ジャズ喫茶」といった新しい形のメディアも現れます。その一方で本流の歌謡曲は、コロンビア、ビクターという二代メーカーが圧倒的に業界をリードし、ポリドール、テイチク、キングなどといったレコード会社が共存共栄していきます。
この時代のコロンビアは、藤山一郎、美空ひばり、島倉千代子を筆頭にした大歌手たちの活躍が目覚しいです。またこの時期の特筆すべき事として、ジャズ界では知らない人はいないであろうジャズピアニストでもあり作曲家でもある中村八大と作詞家・永六輔の事があります。
この二人の作家が制作した水原弘の「黒い花びら」は、ロカビリーとは違う、「ブルース」や「ジャズ」の洗練された中に哀しみが漂うような何とも言えない響きが斬新、かつ新鮮で聴く人を魅了し、記念すべき第一回日本レコード大賞を受賞しました。
他でも作詞家では星野哲郎、石本美由紀、佐伯孝夫、作曲家では船村徹、吉田正、市川昭介、遠藤実といった若き天才的大作家達が活躍し、後々まで昭和歌謡界を華々しいものにしていくことになります。
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1位 |
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「有楽町で逢いましょう」 フランク永井 作詞/佐伯孝夫 作曲/吉田正 有楽町そごうのコマーシャルソングとして作られた楽曲。 詳しくは歌謡曲【豆知識】をご覧下さい。 |
2位 |
「南国土佐を後にして」 ペギー葉山 武政英策(作詞・作曲) 元々この楽曲は遥か遠くの大陸へ出兵となった陸軍歩兵236連隊内で唄われていた唱歌ともいわれています。ペギー葉山はこの楽曲の3人目の歌い手です。それまでに丘京子・鈴木三重子が歌っており、3人目となったペギー葉山で大ヒットを遂げました。 |
3位 |
「ここに幸あり」 大津美子 作詞/橋掬太郎 作曲/飯田三郎 1956年に映画「ここに幸あり」の主題歌として大津美子によって歌われた楽曲です。この曲は国内に留まらずハワイ・ブラジルといった日系人の間でも愛され続けている唱歌で、それからも、ほぼ20年後の時を経て「花王 愛の劇場」1975年の約2ヶ月間放映された昼ドラ「ここに幸あり」の主題歌にもなりました。 |
4位 |
「別れの一本杉」 春日八郎 作詞/高野公男 作曲/船村徹 当時、新人だった作詞家の高野公男と作曲家の船村徹はこの楽曲を持って春日八郎のもとに売り込みにいったとされています。それが春日八郎の代表曲となる50万枚もの大ヒットを遂げ演歌歌手としての地位を確立することとなりました。 |
5位 |
「黒い花びら」 水原弘 作詞/永六輔 作曲/中村八大 この楽曲は第1回日本レコード大賞の受賞曲としても知られています。 |
6位 |
「この世の花」 島倉千代子 作詞/西条八十 作曲/万城目正 北条誠による、雑誌「明星」の連載小説から映画化され、その主題歌が島倉千代子のデビュー曲となりました。売上200万枚というとんでもない大ヒットとなり自身生涯の最大のヒットをこのデビュー作で遂げます。 |
7位 |
「月がとっても青いから」 菅原都々子 作詞/清水みのる 作曲/陸奥明 菅原都々子は父の本名菅原陸奥人こと作曲家の陸奥明の実娘で、父はこの曲を娘に託し売り出した。これが100万枚の大ヒットとなり映画化までされました。この楽曲はかなりの歌手からカバーされるほどに長く愛され歌い継がれている曲として身近に感じます。 |
8位 |
「港町十三番地」 美空ひばり 作詞/石本美由起 作曲/上原げんと この楽曲は美空ひばりの故郷にもなる横浜や川崎市辺りが舞台となっています。最近では「あまちゃん」ではこの楽曲をストーリーの中で歌唱したことでも記憶に新しい。 |
9位 |
「東京だよおっ母さん」 島倉千代子 作詞/野村俊夫 作曲/船村徹 舞台は東京、歌詞の中に二重橋、九段坂、浅草などの東京の名所が入っているのが何とも面白い。尊敬し慕っていた美空ひばりの「波止場だよ、お父つぁん」と同じような楽曲を歌いたいとの本人の切望から作られたとされていいます。 |
10位 |
「おーい中村君」 若原一郎 作詞/矢野亮 作曲/今野忠晴 「おーい中村君」のヒットでコミカルな曲を歌うイメージがある若原一郎ですが昭和初期の戦中歌謡、特に軍歌は根強い人気がある歌手です。レパートリーの巾が広く、岡晴夫をこよなく敬愛し、没後は岡のヒット曲を歌い継ぎ「岡晴夫を歌う」というアルバムも発売したほどだ。 意表をついてバラエティ番組へも進出しています。「欽ちゃんのどこまでやるの!?」では中年の学生役に演じ、タレントとしての人気を得たほどのエンターテイナーと言っても過言ではないでしょう。 |