1973年「としごろ」でデビュー。
森昌子、桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。
外見の純朴清純なイメージとは違う少女の大胆な性描写的歌詞を歌った翌年の「ひと夏の経験」が大ヒットし他の新人歌手と一線を画した。純朴な少女が歌う歌詞とのイメージのギャップ、彼女の持つ独特な雰囲気から多くのファンを虜にした。1976年、宇崎竜童作曲、阿木曜子作詞「横須賀ストーリー」が大ヒット。その後引退までこの2人の作家が作る歌で大ヒットの連続、山口百恵の人気を不動のものにした。
また芸能界にいる期間は約7年間と驚く程短く、歌手として最も旬の時に愛する人と結婚するためにすっぱり引退するという潔さが山口百恵というカリスマ性を後押ししている。デビュー当時から山口百恵の何万枚もの被写体を取り続けていた篠山紀信は彼女の事を「時代と寝た女」と称したことは有名である。
作詞作曲 谷村新司
森昌子、桜田淳子と共に花の中3トリオとしてデビューした山口百恵ですが、「ひと夏の経験」を発表したあたりから、一人群を抜いていきます。
彼女が自ら提案したという「横須賀ストーリー」、「イミテーション・ゴールド」、「プレイバックPart2」などの宇崎竜童、阿木耀子夫妻の楽曲を起用してからは、その斬新さ、新鮮なメロディーから出す曲、出す曲、全てが大ヒットの連続でした。 路線を変えた、さだまさし作詞作曲の「秋桜」も歌い大ヒットしました。この頃の山口百恵ブームは凄まじいものがありました。
「時代と寝た女」と評されたことは前述しましたが、ファン、マスコミ、企業など全てを味方に付け、その頃、山口百恵が嫌いという人はいなかったのではないでしょうか。
それは家庭内が複雑で幼い頃から苦労した山口百恵という「人間」に共感を持ち、彼女の持つ慈母のような雰囲気に癒しを感じ、媚びた笑顔は一切見せず一本筋の入った歌い方に共鳴するなど、挙げだしたらきりがありません。有名になればなる程、芸能界で生きていく事の苦労も多かった事でしょう。
愛し合った人と結婚する為、歌手、女優と君臨していたトップの座をすっぱり退き、未だ公の場には一切出ないという潔さを持った芸能人は、それまでもその後も芸能界の中では彼女以外見当たりません。地位や名誉やお金よりも、本当の小さな幸せを掴みたかったという事でしょう。谷村新司作詞作曲の「いい日旅立ち」はそんな山口百恵という女性の潔さがそのまま投影されているかのような名曲です。
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