芹洋子は清潔感漂う日本のホームソングや童謡、牧歌を歌う
昭和時代から今でも活躍する息の長い実力歌手の一人である。
昭和44年「野に咲くバラのように」でデビューし、
北海道のローカル線をモデルにした「愛の国から幸福へ」もヒットした。
また日本人なら知らない人はいない「四季の歌」がミリオンセラーを記録し、
芹洋子は押しも押されもしない実力歌手の仲間入りをする。
その後も「赤い花白い花」、「坊がつる讃歌」と順調にヒットを飛ばし、
昭和53年NHK紅白歌合戦初出場を果たした。
また当時は「コマーシャルソングの女王」という異名がつけられ
担当したコマーシャルソングは600曲以上、有名なところでは
歯磨き粉の「ホワイト&ホワイト」、「ハウスプリン」など、
今も引き継がれる初代コマーシャルソングが挙げられる。
比較的新しいコマーシャルソングは平成23年より起用された
「ニッピコラーゲン」がある。
また現在も定期的に東武ホテルレバントで「うたごえ喫茶~芹洋子と歌おう」
を開催するなどの活動をしている。
作詞・作曲 荒木とよひさ
「芹洋子」という歌手の特記すべき事として
昭和56年からは、 日中文化交流音楽大使として12回にも及ぶ北京公演を行い、
歌手として日中国交の橋渡しという大きな社会貢献をした事があります。
長い間、暗雲立ち込めていた日本人と中国人との間に「音楽」という文化で
友情を育んでいく事ができたのは,芹洋子という歌手の力が大きかったのではないでしょうか。
また平成4年、交通事故による外傷性クモ膜下出血、逆行性健忘により
自分が歌手である事や持ち歌などの記憶を全て失ったにも関わらず、
懸命のリハビリによって歌手として奇跡的にカムバックした事があります。
最後まで諦めず、不屈の精神で地道にリハビリを続けて来てこそ成し遂げられたカムバック。
このカムバックは、同じような事故に遭いリハビリに励んでいる人にとって大きな励みとなりました。
そのような歴史と背景がある国民的歌手・芹洋子が歌う「四季の歌」は
世界で唯一「四季」を持つ国・日本に生まれてきた事への誇りを感じさせます。
今なお根強いファンが多い今年64歳になった芹洋子という
歌手のけがれのない美声は今でも色褪せることなく、昭和時代を愛し、
生きてきた人にとって永遠に懐かしい「故郷」を思わせる事でしょう。
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