まだ16歳の高校生だった74年、自ら作詞作曲した「雨の日のひとりごと」が第8回POPCON優秀曲賞に輝いた。「思い出は美しすぎて」でプロ歌手として本格デビュー12万枚のヒット曲になるが2曲目は全く売れず引退まで考えていたという。
そんな時、たまたま原宿の歩道橋で不意に曲想を得て作曲した「みずいろの雨」が大ヒット!
その後ヒット曲を連発し彼女の透明感のある美しい歌声がテレビラジオ、有線放送などで聴かない日はないほどだった。
1986年イギリス人の音楽プロデューサーと結婚し生活拠点をアメリカに移す。
作詞 三浦徳子
作曲 八神純子
編曲 大村雅朗
昭和53年、3枚目のシングルである「みずいろの雨」が発表されました。この曲は、前述している通り、前曲のシングルがヒットに恵まれなかった為、引退まで考えていた当時、原宿の歩道橋でふと浮かんだこのメロディーを、彼女は「作曲家・八神純子」として発表しようと考えていたそうです。
それも当時人気絶頂だった「岩崎宏美」の声を想定して書いたといいます。しかし、さすがPOPUCON入賞者の実力、岩崎宏美の声にも負けず劣らずの美声の持ち主である彼女が歌うと、「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に取り上げられ、たちまち評判を呼び、60万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
それからアメリカに渡り帰国後、「ポーラスター」「パープルタウン」と次々とヒットを飛ばします。
日本のトップ歌手になったにも関わらず、その後拠点をアメリカに移し音楽活動を続けていきます。
また、平成23年の東日本大震災の時は、歌手として何か出来ることはないかとネットを通じて賛同した人達と共に救援物資を送ったり、精力的にチャリティーライブを行ったりと活動しました。そして、高音のミラクルボイスは健在で約10年ぶりにニューアルバムを発表。
八神純子の歌の数々は、エネルギーに満ち溢れ、それまでの彼女の生き様が映し出されているようです。そして、明日への活力がふつふつと漲ってくる、まるで応援歌のようなイメージさえあります。
その中でも、いきなり美しい高音のサビから始まるこの「みずいろの雨」という曲は、カラオケで歌う場合「私には無理」と最初から選曲を避ける人が多いですが、出だしの「あ~みずいろの雨~」のフレーズさえ声が出ればあとは比較的低めでスローなフレーズとの繰り返しなので、高音に少しでも自信のある人ならきっと歌いやすいかもしれません。
パワフルウーマン・八神純子の「みずいろの雨」を貴女のレパートリーに加えてみてください。きっとパワーをもらう事ができるはず!
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