彼女が10歳の夏、テレビ局の「ちびっ子歌謡大会」に参加し合格したことがきっかけとなり、連続ドラマ『光る海』で沖雅也の妹役として出演したことが芸能界入りとなりました。昭和47年「かくれんぼ」でアイドル歌手としてデビューするもののその当時、人気を評していた「花の中三トリオ」の影響に隠れ、大きな人気を得るまでには至りませんでした。
その後昭和51年「津軽海峡・冬景色」が大ヒットします。第19回日本レコード大賞歌唱賞などを受賞。また同年「能登半島」「暖流」もヒットし更には次々とヒットを続け日本を代表する女性演歌歌手の地位を確定させていきます。『NHK紅白歌合戦』では、現時点で通算36回出場しています。「天城越え」「津軽海峡・冬景色」は彼女の代表作でそれぞれ『NHK紅白歌合戦』で8回歌われています。
作詞 阿久悠
作曲 三木たかし
今は存在しない「上野発の夜行列車」、「青函連絡船」。だから、「北へ帰る人の群れは誰も無口で」という事も空からでしか津軽海峡を見ることができない今ではわかりません。
ですがこの曲の詞に触れると、真冬の津軽海峡の寒々しい情景が恋に破れ傷ついた女の姿そのままに、これでもかという位、心に突き刺さってきます。癒しや、明るく暖かい土地に向かわず、極寒の東北へ向かったこの傷心の主人公は思いっきり泣きたかったのでしょうか・・。それとも、歌詞にある「さよなら、あなた、私は帰ります」とあるように夢破れて自分の故郷に帰ろうとしているのでしょうか。
ともあれ、この曲の詞は東北の昔あった懐かしい情景を思い出させ、また、悲しい女心を表現する上で、津軽海峡という場所を中軸に歌った曲という意味でも今までの演歌にはなかった「情景」を主役にもってきた画期的な曲なのです。
演歌にはめずらしく、メロディーもどこかしらフォークの匂いを感じさせます。抑え気味の出だしから最後のフレーズで一気に盛り上がり、石川さゆりの高音の美声が冴え渡ります。
歌詞とメロディーの持つ何とも言えない「空気感」に思いっきり浸れる昭和歌謡史に残る名曲と言えるでしょう。
作詞 吉岡治
作曲 弦哲也
編曲 桜葉伸幸
ある悲しい女の、惚れた男に対する狂ったような情念を表現した歌詞の凄さもさる事ながら、メロディーもアップダウンが激しく音域がかなり広い超難曲です。プロの歌手が歌うのも気合が必要だといいます。
石川さゆりはこの曲を歌う時、着物姿であるにも関わらず、両足を大きく開き、腰にぐっと力を入れて歌っています。もともとこの曲が作られたコンセプトは「素人が絶対歌えない歌を作る」という事だったそうです。
「私は天城越えが歌える!」と、カラオケ上手な人やのど自慢大会に出場するような人の中にはおられるでしょう。実際私の友人に、この曲を完璧に歌える人がいます。その人にどうやって歌えることができたのか聞いてみました。
やはり、「練習しかない」と言いました。練習のポイントはとにかくワンフレーズ、ワンフレーズ、何回も何回もCDを聞き、声の出し方、こぶしを効かせる箇所など体にたたき込むように覚えさせているそうです。
この曲をうまく歌うこつは、「愚直なほどの練習」の中にしか見い出せないのかもしれません。
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