1971年、ジャニーズ喜多川にスカウトされジャニーズ事務所に所属(その後、別事務所に移籍する)可愛らしい甘いマスクでフォーリーブスのバックダンサーとしてファンを獲得した。
25歳ころからマイケルジャクソンを目標にしていたことから渡米を何度も繰り返し、アメリカナイズされたダンスやジャケットをパタパタさしながら歌うジャケットプレイを披露し 抜群のルックスと運動神経の持ち主ということもあり数々のヒット曲を飛ばす。
1982年以降、『ザ・ベストテン』等、音楽に関するランキング番組の出演をすべて拒否する。
作詞 安井かずみ
作曲 筒美京平
昭和49年に発表されたこの曲は、10曲目にしてオリコン1位になりました。筒美京平の聴きどころ満載のメロディーと、郷ひろみの鼻にかかった魅力的な歌声が見事にマッチし、アイドルポップスの王道といえるほどの名曲となります。
「男の子女の子」でセンセーショナルなデビューをした頃は、大人でも子供でも男でも女でもない、大人になりきれてない可愛い「少年」のようなイメージでしたが、この「よろしく哀愁」によって、さなぎから蝶に脱皮したかのような大人の男の魅力が加わり、女性ファンを虜にしていきました。この頃から、アイドル歌手のくくりからの脱却を計っていたようです。
まず、ジャニーズ事務所を辞め、バーニングプロダクションへ移籍するという思い切った事をしました。ジャニーズ時代、夜の番組への出演は事務所の方針で控えていましたが、移籍してからは勢力的に出演するようになります。
また自分の持ち歌をランク別に評価されたくないと、ランキング番組への出演は一切辞退し、日本レコード大賞や歌謡大賞などの音楽賞への出演も辞退するという事を選択しました。「自分は他とは違う!」という歌手としてのこのようなパフォーマンスができるのは、彼自身の努力と自信があったからこそできたのでしょう。
徹底した他との差別化という戦略は大成功。「郷ひろみ」として極め、息の長い超一流歌手としての地位を不動のものにしました。
Copyright ⓒ懐メロCD通販【昭和歌謡曲 懐かしの名曲集】|All Rights Reserved