昭和40年のデビューから約5年間全く売れない時期があって、2回芸名を変えています。
崖っぷちの状況で、昭和45年読売テレビの「全日本歌謡選手権」に「これでだめなら田舎に帰って農業をする」と心に誓って出場し、グランドチャンピオンに。作詞家の山口洋子氏、作曲家の平尾昌晃氏との出会いで芸名を「五木ひろし」として再デビューをはたす。
その時発表した「よこはま・たそがれ」は65万枚を売り上げる大ヒットとなり「長崎から船に乗って」など、大ヒット、大ヒットを飛ばし続けた。
「日本レコード大賞金賞」を10年連続受賞したのはこの人だけだ。拳を握って腰を回したような独特な歌い方はよくものまねされるが、昔同じ事務所だったキックボクサーの沢村忠氏のファイティングポーズからヒントを得たそうだ。
作詞 山口洋子
作曲・編曲 平尾昌晃
昭和46年、「全日本歌謡選手権」でグランドチャンピオンになった五木ひろし(当時は三谷謙という芸名)の再デビューとなった時の曲です。 この再デビューの際最も力を注ぎ、命名からプロデューサーとして後後まで関わっていくのは直木賞作家でもあり、作詞家でもある山口洋子氏でした。
昭和41年~42年、青江三奈、美川憲一、森進一といった歌手によって夜の繁華街などを舞台にした歌謡曲、「ムード歌謡曲」というジャンルが誕生していました。そんな時代、当時の山口洋子氏は銀座の「姫」という高級クラブのママという経歴を生かした女流作詞家です。
男性が女心を歌うという彼女が作詞したムード歌謡曲は、野村真樹の「一度だけなら」をはじめ、中条きよしの「うそ」などの数々のヒット曲があります。その中でもこの「よこはま・たそがれ」という曲は、「よこはま・たそがれ・ホテルの小部屋・くちづけ・残り香・煙草のけむり・ブルース・口笛・女の涙・・・」という単語を並べた象徴詩の手法を取り入れています。
作曲した平尾昌晃氏によるとこの詩を「思い出」と捉え、いきなりメロディーが浮かんできたといいます。この曲の何とも言えない独特の世界観、五木ひろしの並外れた歌唱力は、当時、聴く人の度肝を抜かれるほどの衝撃的な再デビューでした。発売されて、3ヶ月目にオリコンベスト10入りし、7週間後には1位を獲得します。また、その年の日本レコード大賞歌唱賞、日本歌謡大賞、放送音楽賞といった賞を受賞し、五木ひろしは一流歌手の仲間入りを果たしました。
その後は数え切れないくらいのヒット曲を発表し、日本レコード大賞受賞、紅白歌合戦では大とりを努めたりと、押しも押されもされない超一流歌手となっていきました。そんな記念すべき五木ひろしの再デビュー曲「よこはま・たそがれ」の独特の世界観にもう一度浸ってみませんか。
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