元々は浪曲師・南篠文若としての経歴を活かし、自作した歌謡浪曲を得意としていました。特に「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は代表される長編歌謡浪曲とされています。
芸で培われてあの笑顔と浪曲で鍛えられたあの美声がとても魅力的な昭和を代表する歌手です。また、和服を歌謡曲の衣装に取り入れた初めての男性歌手でもあります。あまりのも有名な「お客様は神様です」のフレーズは、自らの芸とお客様に対する真摯な姿勢から生まれたもの。同時期に活躍していた浪曲師出身の村田英雄とは長年に渡り良きライバルとして知られています。
作詞 島田陽子
作曲 中村八大
昭和24年20歳で第二次世界大戦に入営するまで、南篠文若(後の三波春夫)という名前の弱冠16歳の少年浪曲師は一枚看板で巡業を行い、聴く人全てを唸らせました。入営後は各中隊別に自慢の浪曲を披露し、「浪曲上等兵」とも呼ばれました。しかし、戦時の真っ只中ハバロフスクの捕虜収容所に送られ、約4年間、シベリア抑留生活を強いられてしまいます。それでも厳しい検閲の中、オリジナルの「思想浪曲」や芝居をソ連の収容所で披露するという捕虜教育係の役割を担ってきたといいます。
そうした凄まじい戦時中の体験から、帰国後は、日本を守る国民会議(現・日本会議)の代表委員となり保守系の政治活動を支持します。三味線一本の浪曲師だった三波春夫は、戦後は歌手に転向しました。それも洋服だとどうもしっくりこないという事で明るい色の紋散らしの着物姿でステージに立ったのが大成功し、「チャンチキおけさ」の大ヒット。
当時人気絶頂だった「石原裕次郎」と真逆の個性で、2分するほど人気を獲得してゆきます。その後の活躍は目覚しく、平和の象徴である「東京オリンピック」や「大阪万博」の三波春夫が歌ったテーマソングはあまりにも有名です。
また、日本人の写真が載るというのは海外で初の事であるという大阪万博を記念した切手「日本万博博覧会開催記念切手」に「三波春夫」が載る事になりました。そうした経緯から、三波春夫は押しも押されもせぬ「国民的歌手」となりました。
昭和45年開催された大阪万博のテーマソング、「世界の国からこんにちは」は、戦後苦しい復興期から立ち上がり、豊かな時代へと大成功を収めた世界に誇れる日本の記念すべき名曲です。
「こんにちは~、こんにちは~、世界の国へ・・」とこのメロディーを聴いたとたん、あの時代にタイムスリップしたかのように明るく満ち溢れた、ワクワクした気持ちになります。
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