☝さだめ川 / 夜へ急ぐ人
【さだめ川】
お色気アイドル歌手としてデビューしたちあきなおみですが、
「喝采」が大ヒットしたのにも関わらず何故翌年
演歌に路線変更したのでしょうか。
■ 更なる演歌路線への転向
レコード大賞受賞歌手・ちあきなおみの為に、演歌を含めたあらゆる作家達が
「書かせて欲しい」と殺到してきました。
4歳から数えて20年間というもの、与えられた仕事を忠実に真面目に取り組んできた
ちあきなおみにとって、そろそろ自分が歌いたい曲というものが見えてきつつ、
またレコード会社や商売に絡む色んな事で、ある種の「人間不信」に陥っていた
時期だったとそれから20年近く経った頃、当時の事を語っています。
話は戻しますが、レコード大賞受賞後、超売れっ子実力歌手・ちあきなおみが
安定したポジションを保持しつつあるそんな頃、
デビューから演歌を封印していた彼女は・・・
■ 熱望した作曲家・船村徹氏とのコンビ
演歌への思いが込み上げてきたのでしょうか。
「船村演歌なら歌ってみたい」と何度となく口にするようになりました。
事実、その頃発表したアルバムの中でも北島三郎や春日八郎の曲をカバーしています。
船村演歌は、美空ひばり始め、プロの演歌歌手が苦闘する曲目が多いとされています。
長年の、聴く人を唸らせてきたコブシの効く喉を持つ彼女の歌手
としての本能が沸々と湧いてきたのでしょうか。
ちあきなおみのそんな希望を聞きつけ、
受けて立った大作曲家・船村徹氏が
提供した楽曲は「さだめ川」でした。
長い間なかなか実現しなかった船村氏との
コンビでのこの曲はヒットし、
演歌歌手・ちあきなおみという立ち位置も認められようとしていました。
その後も船村氏作曲による「酒場川」(B面矢切の渡し)が発表され
紅白歌合戦にもこの曲で連続出場を果たします。
しかし、それ以来ちあきなおみは再び演歌を封印してしまいます。
(その頃のエピソードは歌手別豆知識「ちあきなおみの幻の名曲・矢切の渡し」をご覧下さい)
【夜へ急ぐ人】
■ ちあきなおみの新たなる世界観へ
この「夜へ急ぐ人」で紅白歌合戦に出場した時、司会者の口から
「なんとも気味の悪い曲ですね~」と言われた事から当時話題にはなりましたが、
ヒットチャートには決して上がりませんでした。
レコード大賞受賞曲「喝采」に続き、「さだめ川」という本格的演歌で出場と思いきや、
翌年にはこの曲で出場し、話題には上がったものの、ヒットしなかったという事は、
当時の世間の人々がちあきなおみの感性に着いて来れなかったのではないでしょうか。
現在この「夜へ急ぐ人」は、一青窈がカバーし、YouTubeなどインターネット
によって、何とも怪しい魅力漂うちあきなおみが髪の毛を振り乱し、
これでもかという位の表現力で歌う「夜へ急ぐ人」がリアルに見ることができ、
話題になっています。
この曲によって、現在のちあきなおみブームに火が付きました。
世の中がやっとこの曲に着いてこれたという印象さえ持たれます。
この「夜へ急ぐ人」を作詞作曲した友川かずきは、この当時既に夫婦である
郷鍈治(宍戸鍈治)、ちあきなおみ夫妻からオファーを受けてこの曲を提供しました。
歌謡界の頂点に立つちあきなおみがどういった経緯で直々のオファーをしたのかという
と、当時流行していた番組「11PM」で友川かずきの持ち歌「生きてるって
言ってみろ」という曲を歌っている所をたまたまテレビで観て、
翌日電話で事務所に呼び寄せ、早速楽曲提供の依頼をしました。
ちあきなおみのこの頃は、歌手としてレパートリーを
広げ、一つのジャンルのカラーに留まる事なく、
色んな可能性に挑戦したい時期だったのでしょうか。
言い換えれば、与えられる歌=商売ペースではなく
「自分が歌いたいと思う歌を歌う」という
歌手として本当の自我の芽生えた時代だったのでしょう。
友川かずきにとって、チャンスがきた!というより、まだ無名の、
芸能界の真ん中で生きていない自分に、何故歌謡界の大御所のあのちあきなおみ
からのオファーが来たのかとただただ驚き耳を疑ったそうです。
さてどんな曲を書いたらいいのかと模索していた時、「ジャニス・ジョプリン」を
情念込めて歌うちあきなおみのステージを見た時にイメージが沸き、
一気に「夜へ急ぐ人」を書き上げたといいますから、歌手・ちあきなおみと
シンガーソングライター・友川かずきの感性の高さは共通するものがあったのでしょう。