昭和40年代前半(40~44年) 懐メロ歌謡曲ランキング

■ 高度経済成長期の日本とテレビ業界の発展
  【華やかしい昭和歌謡界の展望】

40年代(40年~44年) 昭和史【豆知識】




苦しく悲しい終戦、前だけを向いて頑張ってきた日本の復興期。
戦後20年という一つの区切りとして、昭和39年には華々しい東京オリンピックが大成功し、「平和の国・日本」が世界各国に認識されました。

またそれと共に日本の一般庶民の生活レベルも、目を見張るほどのスピードで高レベルになっていきました。自動車産業は各メーカー競って新しいモデルを発表し、鉄道も地方から次々と開通してゆきます。また日清食品、サンヨー食品などの大手食品メーカーからカップラーメンなどのインスタント食品が発売され、日本の台所を預かる主婦にとってはますます便利な時代になっていきました。


テレビ業界も東京オリンピックを一つの境目として、民放が次々と開局していきました。
歌番組やクイズ番組、長年愛されたあのお化け番組「8時だよ全員集合」などのお笑い番組から「水戸黄門」、「鬼平捕物帳」、NHK大河ドラマなどの時代物テレビドラマや、またアニメでは「サザエさん」から始まり「ムーミン」、「ひみつのアッコちゃん」、「魔法使いサリーちゃん」などの魔法使いもの、「タイガーマスク」、「巨人の星」、「アタックNO・1」などといったスポーツ根性ものが爆発的人気を得て、お茶の間のテレビのチャンネル争いで家庭では大いに盛り上がりました。


忘れられないのは昭和39年のビートルズ初来日です。日本の文化に多いに影響を与えたというのも、ファッション界ではアイビースタイル、歌謡界では、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・スパイダース等といったグループサウンズの到来というのもうなずけます。このグループサウンズの活躍は後のニューミュージック、シンガーソングライターといった時代の流れへと継承されることになります。

また、この頃の美空ひばりは、「悲しい酒」、「柔」などミリオンセラーの記録を連発するなど勢力的に活躍し、歴史に残るほどの名曲を数々残しました。その活躍を継承するかのように、後には大御所となる、北島三郎、都はるみ、千昌夫などといった、若き原石とでもいえるような新人歌手達が続々と大ヒットを飛ばし、歌謡界を華やいだものにしていきました。これらの歌手達によって、いよいよ昭和45年以降の昭和歌謡界の黄金時代を迎える事になるのでした。

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―昭和40年代(40~44年)  懐メロ歌謡曲ランキング ベスト10―

1位
悲しい酒 美空ひばり
 
 
「悲しい酒」
 美空ひばり

 作詞/本美由起  作曲/古賀政男

そもそも新人歌手の北見沢惇に提供された楽曲でしたたが、残念ながらヒットに恵まれませんでした。その後、この曲を再起させるために作曲者の古賀政男は、既に歌われていたことを黙ったまま既にスター街道を上りつめて行った美空ひばりに収録させた楽曲でした。

2位
柔 美空ひばり
 
 
「柔」
 美空ひばり

 作詞/関沢新一  作曲/古賀政男

昭和38年、映画監督巨匠「渡辺邦男」によって撮られたテレビシリーズ「柔」の主題歌である。直球で来る豪快で派手なシンバルと陣太鼓のようなティンパニや尺八、「勝つと思うな 思えば負けよ」の克己心を歌ったこの曲は明治人で、保守主義者である渡辺邦男の価値観が全面に出ているものの、小唄、民謡、ジャズ、リズム歌謡まで何でも歌いこなす天才歌手・美空ひばりの縦横無尽な歌声は逆に新鮮味さえあり、空前の大ヒットを記録した。

3位
星影のワルツ 千昌夫
 
 
「星影のワルツ」
 千昌夫

 作詞/白鳥園枝  作曲/遠藤実

弱冠18歳の岩手県出身、東北訛りの抜けない少年は歌手になりたくて大作曲家・遠藤実氏の家の前で「弟子にしてほしい」と3日間座り込み、なかば強引に押しかけ入門する。そして意外にも早いデビューをし、19歳の時この「星影のワルツ」を発表。この、スローでロマンティックな曲は、じわじわと売れ出し、250万枚を越すミリオンセラーになった。また、遠藤実氏の門をたたいてからたった3年で紅白歌合戦の初出場を決める。その後は、遠藤実門下生として大ヒット曲を連発し続け、昭和歌謡界で最も愛されるキャラクターの一人として黄金時代を迎えることになる。

4位
涙の連絡船 都はるみ
 
 
「涙の連絡船」
 都はるみ

 作詞/関沢新一  作曲/市川昭介

この曲は都はるみにとって「アンコ椿は恋の花」以来2度目となる155万枚を売り上げたミリオンセラーである。昭和40年、この曲で紅白歌合戦に初出場をする。その後も3回この曲が歌われ、昭和57年ではこの曲で紅組トリを務めた。「アンコ椿は恋の花」では唸り節で度肝を抜く程、強烈な印象を与えたがこの曲では唸り節は一切使わず、別れの恋の女心を切々と歌い上げた。また、昭和58年の「男はつらいよ 旅と女と寅次郎」ではこの曲で、都はるみがマドンナになっている。

5位
ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ
 
 
「ブルー・ライト・ヨコハマ」
 いしだあゆみ

 作詞/永六輔  作曲/中村八大

いしだあゆみの出世作となったこの曲ですが、老若男女問わず知らない人はいないでしょう。「街の灯りがとてもきれいね、ヨコハマ、ブルーライトヨコハマ~」で始まるフレーズは、独特で都会的なセンスで満ち溢れています。

詳しくは歌謡曲【豆知識】をご覧下さい。

6位
長崎は今日も雨だった 内山田洋とクールファイブ
 
 
「長崎は今日も雨だった」
 内山田洋とクールファイブ

 作詞/永田貴子  作曲/彩木雅夫

「ムード歌謡」という一つの時代の代表曲とされる。通算売上150万枚のミリオンセラーとなる。元々長崎のグランドキャバレー「銀馬車」の専属バンドだった内山田洋とクールファイブは上京後、前川清の低音から高音へ伸びる抜群の音域や歌唱力、表現力によってこの曲を発表以降も数え切れない程のヒットを飛ばしムード歌謡の大御所となっていく。

7位
函館の女 北島三郎
 
 
「函館の女」
 北島三郎

作詞/星野哲郎  作曲/島津伸男

北海道函館出身である北島三郎が歌ったこの曲は14枚目のシングルで140万枚を記録する大ヒットとなった。もともと流しで鍛えられた抜群の歌唱力で、「なみだ船」、任侠シリーズの「兄弟仁義」、そして「女」シリーズの「函館の女」の大ヒットにより北島三郎は新しい形の演歌の時代を築く先駆者として活躍する。また大御所でありながらも愛称「サブちゃん」として親しまれている。

8位
夜霧よ今夜も有難う 石原裕次郎
 
 
「夜霧よ今夜も有難う」
 石原裕次郎

 作詞/作曲 浜口庫之助

昭和42年、石原裕次郎と浅岡ルリ子主演で公開された映画「夜霧よ今夜もありがとう」の主題歌として発売されました。この映画は昭和17年、アメリカ映画の名作「カサブランカ」(ハンフリー・ボガード、イングリット・バーグマン主演)の日本盤として翻案されたものです。

詳しくは歌謡曲【豆知識】をご覧下さい。

9位
君といつまでも 加山雄三
 
 
「君といつまでも」
 加山雄三

作詞/岩谷時子  作曲/弾厚作

「これから明るく幸せな未来に向かって僕と歩いていこうよ」という歌詞と、1オクターブ半も使った爽やかなメロディーは、今聴いても新鮮で心まで洗われるような美しい曲です。

詳しくは歌謡曲【豆知識】をご覧下さい。

10位
世界は二人のために 佐良直美
 
 
「世界は二人のために」
 佐良直美

 作詞/山上路夫  作曲/いずみたく

佐良直美のデビュー曲であり、通算売上120万枚を売り上げるミリオンセラー。またこの曲によって日本レコード大賞新人賞を受賞しデビューしたその年の紅白歌合戦に出場を決め、13回出場。司会も5回努め昭和42年以降の紅白歌合戦を大いに盛り上げた貢献者である。また、昭和43年春の第40回選抜高等学校野球大会で選手入場行進曲に選ばれた。