昭和60年代(60~64年) 懐メロ歌謡曲ランキング

■ 社会派のTV番組が流行るほどに時代の急成長がもたらす
  心の変化と次に繋がる文化の流れ

60年代(60年~64年) 昭和史【豆知識】




いよいよ昭和時代も終わりに近づく60年代、色々な難局を乗り越えながら経済的成長を成し遂げてきた日本もようやく安定期に入ろうとしていきますが、今まで以上に国家的な出来事や、歴史に残るような大事故が起こった時代でもありました。

まず真っ先に挙げられるのは、世界でも有数の、鉄壁の安全性を誇っていた日航ジャンボ機123便の墜落事故です。この大事故により520人死亡、生存者4人という、世界最大の悲惨な結末となりました。

また、「ブラックマンデー」といわれる、ニューヨークの平均株価が22.6%下落、それによって東京株式市場も14.9%の下落率と史上最悪の大暴落となり大混乱を招きます。そのような暗いニュースがある一方で、昭和61年、先進国首脳会議・「東京サミット」の開催がありました。このサミットにより、世界第2位にまでになった経済大国・日本としての世界での認知度が益々確固たるものになりました。またこの年、英皇太子夫妻が来日し、ダイアナ・フィーバーが起こります。美しき皇太子妃・ダイアナ妃の人気はハリウッド女優並みのフィーバーぶりで日本でも凄まじいものがありました。

石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の中でも登場する、青函連絡船が約80年という歴史に幕を閉じ、青函トンネルが開通したのもこの年です。


昭和60年代の芸能界における衝撃的なニュースとしては、石原裕次郎の死があります。歴史に残るほどの昭和の大スターがまた一人逝ってしまった事で日本中が涙の渦でパニックになるほどでした。

また、昭和歌謡界の大きなうねりの中で、これからの時代の際立つ存在の出現として、秋元康という作詞家がいます。平成の時代になっても「AKB48」のプロデュースで大活躍していくことになりますが、その前触れとでも言うべき「セーラー服を脱がさないで」で大ブレークした「おニャン子クラブ」というグループがいます。

アイドルグループとしては珍しく、新田恵利、国生さゆり、工藤静香、ゆうゆなど個性的な面々が多くソロ歌手としても活躍し、多くのヒット曲を発表しました。

昭和歌謡曲の王道ともいうべき演歌は、八代亜紀や、自作自演の演歌歌手・吉幾三、船村徹門下である鳥羽一郎、昭和61年に普通のOLから演歌歌手になった坂本冬美らの活躍によってそのポジションを堅持し、優れた作家達によって、名曲が次々と量産されていきました。


その一方、昭和60年代歌謡界の新しいジャンルとして「シティーポップス」の存在が台頭してきました。杏里の「悲しみが止まらない」や高橋真梨子の「桃色吐息」、上田正樹の「悲しい色やね」、少しアジアンテイストのテレサ・テンの「時の流れに身を任せ」などです。

昭和55年、「裸足の季節」でセンセーショナルなデビューをし、60年代は出す曲出す曲全てオリコン1位を記録、トップアイドルとしての立ち位置を確立していた松田聖子の「夏の扉」、「青い珊瑚礁」「赤いスイートピー」、「風は秋色」など、作詞家・三浦徳子によるアイドル歌謡と「シティーポップス」を融合させた曲は、松田聖子の個性である自我の確立、はにかみながらも自己主張のはっきりした女性像を描いた事によって、昭和にとどまらず、平成の時代においても時代の先端を走るのを予期しているかのような活躍ぶりでした。

この松田聖子を唯一追従出来る存在としては、10代のリアルな現実を描いた「少女A」が大ヒットした中森明菜が際立ちます。抜群の歌唱力で大ヒット曲を次々と発表し、絶頂期の山口百恵にも負けないほどの存在感でした。また、山口百恵も獲得できなかった日本レコード大賞を弱冠20歳で2年連続受賞するという快挙を成し遂げ、昭和歌謡史に残る歌姫として大きな貢献をしました。

豊かになった物質文明や管理社会がもたらした閉塞感、既成概念や規範への反発、社会の中の「自分」への不安を持つ10代の若者が年々増えてきているという現実はやはり戦後高度成長期を果たしてきた日本の歪なのでしょうか。


中森明菜の「少女A」も衝撃的でしたが、当時大きな話題となり、大ヒットドラマとなった「3年B組金八先生」の中で描かれた10代のリアリティー溢れる苦悩や現実もまた大いに共感を呼びました。また、それと同時にこのテレビドラマの主題歌である「贈る言葉」は、一時の流行歌に留まらず、聴くだけに留まらず、歌詞カードなどなくても何かある毎にみんなで口ずさめる、永遠に残る名曲です。

これからも継承されるであろう昭和歌謡曲はそういった「みんなの歌」と呼べるべき、素晴らしい曲が多いのです。また、昔を懐かしみ、口ずさみ楽しむ、だけでは収まらない・・確かな魅力があります。だからこれからも愛してやまないのです。

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―昭和50年代(50~54年)  懐メロ歌謡曲ランキング ベスト10―

1位
雪國 吉幾三
 
 
「雪國」
 吉幾三

作詞/作曲  吉幾三

宴会の酒の席で即興で歌った曲だそうだ。レコード会社のディレクターにメロディーの良さを買われて本格的演歌に作り替えた。「ザ・ベストテン」で1位になった事がきっかけで、オリコン1位を獲得する。この曲によって吉幾三はトップ演歌歌手の仲間入りを果たす。

2位
人生いろいろ 島倉千代子
 
 
「人生いろいろ」
 島倉千代子

作詞/中山大三郎  作曲/浜口庫之助

「日本作詩大賞」の受賞したのをきっかけとし「オレたちひょうきん族」で山田邦子がこの曲で島倉千代子のものまねをした事が話題となり、徐々にオリコンの上位に上がっていく。歌い方に独特の特徴があり、歌詞も島倉千代子の人生と重なっているような感じがし聴きごたえ満点だ。

3位
命くれない 瀬川瑛子
 
 
「命くれない」
 瀬川瑛子

作詞/吉岡治  作曲/北原じゅん

発売した当初は全く売れなかったが、翌年から徐々にヒットし出し結局170万枚というミリオンセラーを記録した。この曲の大ヒットにより、「瀬川瑛子」という女性にもスポットが当てられ裏表のない、少し天然が入っている性格に好感度も高く、度々バラエティー番組にも出演するようになる。

4位
酒よ 吉幾三
 
 
「酒よ」
 吉幾三

作詞/作曲  吉幾三

「雪国」に続く大ヒット曲。男心を切々と酒に語りかけるように歌われたこの曲は、コミカルな面も持つ吉幾三の人気も相まって「雪国」に続く大ヒット曲となった。この曲の大ヒットにより、トップ演歌歌手の地位を不動のものにする。カラオケでもよく歌われ、長年に渡って愛されている名曲。

5位
兄弟船 鳥羽一郎
 
 
「兄弟船」
 鳥羽一郎

 作詞/星野哲郎  作曲/船村徹

ゴールデンコンビによる王道演歌の名曲。漁師の家に生まれ、自らも漁師だった鳥羽一郎が歌うことにより、心に突き刺さる程しびれる。男臭く力強い「海の男」を主人公にしたこの曲は新境地でもあり、ムード歌謡曲がもてはやされた昭和時代にとって強烈に新鮮に映った。

6位
祝い酒 坂本冬美
 
 
「祝い酒」
 坂本冬美

 作詞/たかたかし  作曲/猪俣公章

伍代夏子・藤あや子・坂本冬美と言えば現在の三大女性演歌歌手として今尚活躍されていますが、彼女たち以降の若手演歌歌手が育っていないのも現在の演歌事情ともいえます。坂本冬美は「あばれ太鼓」でデビューを果たし、その後のヒット曲がこの「祝い酒」です。デビュー当初は男唄が彼女のセールスにもなっていました。

7位
時の流れに身をまかせ テレサ・テン
 
 
「時の流れに身をまかせ」
 テレサ・テン

 作詞/荒木とよひさ  作曲/三木たかし

42歳という若すぎる突然の死から早20年が経った今でも東南アジア全土から愛され続けているテレサ・テン。日本では昭和ブームという事もあり、「テレサ・テン」というアジアの歌姫が最近またクローズアップされています。

詳しくは歌謡曲【豆知識】をご覧下さい。

8位
愛人 テレサ・テン
 
 
「愛人」
 テレサ・テン

 作詞/荒木とよひさ  作曲/三木たかし

亡くなった今でも愛され続けているアジアの歌姫テレサ・テンの代表曲。「つぐない」に続く大ヒットにより、この曲で紅白歌合戦に初出場する。彼女の妖艶な容姿、高音ボイスの素晴らしさがこの「愛人」という曲を素晴らしい名曲に仕上げたと思う。また、カラオケでもよく選曲されている。

9位
天城越え 石川さゆり
 
 
「天城越え」
 石川さゆり

 作詞/吉岡治  作曲/弦哲也

ある悲しい女の、惚れた男に対する狂ったような情念を表現した歌詞の凄さもさる事ながら、メロディーもアップダウンが激しく音域がかなり広い超難曲です。

詳しくは歌謡曲【豆知識】をご覧下さい。

10位
おんなの出船 松原のぶえ
 
 
「おんなの出船」
 松原のぶえ

 作詞/山田孝雄  作曲/船村徹

このジャケットからも幼さが残る当時は高校生だった松原のぶえのデビュー曲です。この曲で日本レコード大賞・新人賞を受賞しています。特別に目立った活動は無いものの玄人うけする彼女の安定した歌唱力や歌本来の上手さは、後に美空ひばり賞を受賞するほどに演歌歌手としての実力が認められました。