☝四つのお願い / 喝采
【四つのお願い】
■ アイドル路線への変更 そして苦悩
次に、ちあきなおみにとって、初めての大ヒット曲であり、
世間から名前を覚えてもらい、NHK紅白歌合戦初出場も果たした記念すべき曲は
「四つのお願い」という曲です。
デビュー時のキャッチフレーズは「魅惑のハスキーボイン」という
位ですから、お色気たっぷりのちあきなおみにとって
ぴったりの曲だと思いますよね・・・
ですが、当のちあきなおみは「アイドルが歌うようなこんな曲を歌うようになったら
私はもうだめだ・・」と当初、すごく不満だったそうです。
しかしアイドル路線とはいえ、確かな歌唱力と表現力で、他の新人歌手と比べて
さすがに一線を画く存在感でした。
お色気路線での売り出しはヒット曲が続き、まあまあの成功を収めます。
またバラエティー番組やお笑い番組などでもちょくちょく顔を出すようになり、
この頃のちあきなおみは「歌も歌うちょっと変わった個性の芸能人」
というくくりだったように思います。
しかしヒット曲が二曲続いたものの、それからはジリジリと下り坂に陥り、
歌手としての焦りを感じずにはおれない時期に突入します。
その時代の流行りに乗ってはいたものの
歌手としての実力では決して評価されていなかったのかもしれません。
【喝采】
■ 昭和歌謡史に残る名曲「喝采」が誕生するまでの経緯とは
お色気路線でのヒットが下流方向へ向かい、歌手としての焦りを感じずにはおれない
そんな頃、お色気やお笑いという目線ではない、ちあきなおみ本来の抜群の歌唱力
に心底惚れ込んだのは、あの「喝采」を作曲した中村泰士氏でした。
中村氏は大ヒットした「四つのお願い」ではなく、
デビュー曲の「雨に濡れた慕情」を聴き、その素晴らしい声、表現力に度肝を抜き、
自らコロンビアに「ぜひ曲を書かせて欲しい」と直訴したそうです。
ちあきなおみにとって後々まで重要なパートナーとなる作詞家吉田旺氏とのコンビで
前曲以上の大ヒットをかけて斬新な楽曲を何曲か制作しましたが、
オリコンチャート最高66位止まりという厳しい結果でした。
渾身の願いもむなしく、ですが意気消沈する間もなく、
新進気鋭の作家達は今までになかった試みをする事になります。
まず、「黒いふちどり」という喪をテーマにした、場面が変幻自在する物語風の詩、
また賛美歌の香り漂う、その頃の「ポップス」というジャンルでは
ありえなかったスケールの大きなメロディ。
「黒いふちどり」というフレーズは不吉だ、とコロンビア関係者の間では
異議を唱える声も多かったのですが、「水商売の間では喪に関する言葉は
縁起がいいから」と、吉田旺氏が押し切ったといいます。
そうして昭和歌謡史に残る名曲「喝采」が誕生しました。
9月に発売されたこの曲が、まさか大晦日の一大イベントの賞レースに
参加する事自体関係者の間ですら、この時点で誰も想像すらしていなかったでしょう。
何故ならその年は小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」がダントツのヒットで賞に向けて独走状態だったのです。
しかし「奇跡」は起きました。
見事逆転劇は起こり、「喝采」は日本レコード大賞を受賞しました。
そうしてちあきなおみは、歌謡界の頂点に立ち、押しも押されもしない本格派実力歌手
だということをようやく世間が認めたのでした。
それから中村氏作曲による「夜間飛行」、「劇場」、「かなしみ模様」、
阿久悠・作詞、川口真・作曲による「円舞曲」といった
ドラマチック歌謡曲が次々と発表され、現在も色んな歌手にカバーされています。
何よりその音楽性の高さから「聴くたびに、歌うたびに涙が出そうになる」
という人が後を立ちません。